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横浜地方裁判所 昭和58年(ワ)473号 判決

原告

長谷川潔

右訴訟代理人弁護士

相馬功

鈴木繁夫

被告

ビンセント・グルーザ

右訴訟代理人弁護士

谷口隆良

渡辺一成

主文

一  被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和五八年三月一九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は三分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金一五〇万円及びこれに対する昭和五八年三月一九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は横浜国立大学教授で、昭和五七年三月末よりニュージーランドからの留学生Sheryn G. Mason(以下、メイソンという)を自己の居宅に無料宿泊させ、食事も無償で提供していた(このように外国人を自己の居宅で宿泊、生活させることをホームステイという)。

2  メイソンは同年四月末ごろ、隣地に居住していた被告と知り合つてから、しばしば深夜に帰宅するようになり、近隣で好ましくない風評が立つたため、原告はメイソンに日本の生活習慣や他人に対する配慮を理解してその生活態度を改善するよう要請したが、メイソンはそれに従うことなく、同年七月四日、原告方を出た。

3  この出来事を契機に、被告は同年七月四日から同年一二月ころまでの間、口頭または手紙により、数回に亘つて原告に対し、原告はメイソンの原告方寄宿に関する契約を理由もなく一方的に破棄して追い出した。外国人であることを理由にメイソンを追い出した原告及びその家族は人種差別主義者である。メイソンの深夜の帰宅に文句を言うのは同人に対するプライバシーの侵害であり、西洋社会の基本的習慣について無智である。原告は同年七月二七日付東京入国管理事務所宛原告の手紙の英訳文交付を被告に約束したに拘らず、それを守らない嘘つきである。原告はテロリストであるなどと理由のない批難、中傷を繰り返した。

また、原告の友人アメリカ人二名が同年一一月一五日、被告の勤務先であつた神奈川県立鶴嶺高校を訪れ、校長室で同校の校長及び英語担当教師立会の下、被告と話合いをした際、被告は、原告は嘘つきで、テロリストであり、人種偏見主義者である。西洋の風俗習慣についてまつたく無智であり、英語の初歩的文法すらわかつていない。原告の妻はテロリストで、どんな男ともみさかいなく性的交渉を持つ老いぼれた牝犬のような女であると発言して、原告とその妻を批難、中傷した。

更に被告は原告が被告の母親に電話をしたこともないのに同年一二月二一日付被告の神奈川県義務教育指導部長宛手紙、昭和五八年二月二一日の同部長室における県庁職員二名との話合、同年三月一五日付被告の神奈川県知事宛の手紙、被告が本訴係属後新聞数社に配付した被告の答弁書と題する書面で、原告はアメリカにいる被告の母親に対し、被告が日本において重傷を負つて入院した、というテロリストじみた電話をかけ、被告の母親を脅迫した旨記載したり、発言したりして、原告を批難、中傷した。

4  原告は被告の右言動により名誉毀損ないし侮辱を受け、それによつて多大の精神的苦痛を受けたが、それを慰藉すべき金額としては金一五〇万円が相当である。

5  よつて、原告は被告に対し、前記慰藉料金一五〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和五八年三月一九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを請求する。

二  請求原因に対する認否

その1のうち原告が横浜国立大学教授であること、メイソンがホームステイとして原告の居宅に宿泊していたことは認めるが、その余は知らない。その2のうちメイソンが隣地に居住していた被告と交際していたこと、昭和五七年七月四日、原告方を出たことは認めるが、その余は知らない。

その3、4は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1のうち原告が横浜国立大学教授で、メイソンが原告方にホームステイとして居住していたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると

1  原告(昭和二年五月一四日生)は昭和二六年から同三三年にかけてアメリカに留学し、同年、日本放送協会(NHK)の報道記者となつたが、昭和三八年、お茶の水女子大学の専任講師に転じ、のちに教授になり、昭和五四年、横浜国立大学教育学部教授となつた。

2  原告は英語に堪能で、英語教育に関し多数の単著、共著の著書があり、また異文化間のコミュニケーションに関する著書もある。

3  原告は前記アメリカ留学中、アメリカ人及びホームステイ制度に多大の恩恵を受けたので、恩がえしの意味もあつて、昭和四三年以降、アメリカ人を中心に一〇〇名をこえる外国人留学生を原則として無償で自宅に寄宿(ホームステイ)させている

ことが認められる。

二請求原因2のうちメイソンが隣地に居住していた被告と交際していたこと、メイソンが昭和五七年七月四日、原告方を出たことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると

1  メイソンはニュージーランドからの留学生であるが、日本語の勉強のため、外務省アジア局地域政策課長橋本宏の身元引受で昭和五七年三月二八日、日本に入国し、同日より原告方にホームステイとして無償で居住するようになつた。

2  メイソンは同年四月八日より東京日本語学校に通学するようになつたが、同月末ごろ、アメリカ・メリーランド州と神奈川県との交換教師として来日していた被告(被告は原告方隣地の原告所有アパートを原告より借りていた)と知り合い、交際を重ねるようになり、連日のように午後九時ころ被告方を訪れ、その帰宅時刻は午前二時、三時ごろであつた。

3  右のようなメイソンの行動は原告方近所でも評判となり、また原告にとつても迷惑であつたため、原告の妻はメイソンに対し、遅くとも終電車のころ(午前零時三〇分ごろ)までには帰宅するように注意した。

その後、メイソンの帰宅時刻は午前零時三〇分ごろにかわつたが、被告との交際はかわらず、また原告方家人との交流(これはホームステイの一つの目的である)はなおざりにされた。

4  そこで原告は同年六月二九日、メイソンに対し、ホームステイの目的の一つである家人との交流に関心が薄く、また連日に亘る深夜の帰宅が近所の風評になり、原告及びその家族にとつても迷惑であることを理由に原告方からの退去を求めた。

その結果、翌七月四日、メイソンは行先も告げず、原告方を出たことが認められる。

三以下、請求原因3について検討する。

〈証拠〉によると

1  被告は前記のようにメイソンが昭和五七年七月四日原告方を出る際、メイソンに同行して原告方を訪れたが、最初から興奮、激こうしており、原告の妻に「You are bitch」などと大声でさけび、それを聞いてその場にかけつけてきた原告に対し、メイソンを一方的に追い出すとはひどいじやないか。メイソンがどんなに困つたか、すべて原告の責任である。外国人を追い出すのは人種差別主義者で、人を放り出すという行為はテロリストじみた行為である。深夜の帰宅につき文句を言うのはアメリカの生活習慣に無智で、メイソンに対するプライバシーの侵害で、そのようなことを知らない者に英語を教える資格はない、などと、三〇分ぐらい大声でまくしたてた。

そして同月末にメイソンが忘れ物をとりに原告方を訪れた際も、被告はメイソンに同行し、原告に対し右と同じようなことをまくしたてた。

2  メイソンの身元引受人であつた橋本は同年七月一七日付メイソンに対する身元引受撤回書(甲第六号証)を東京入国管理事務所審査第二課長、法務省入国管理局総務課長、在京ニュージーランド日本大使館領事担当官、原告、メイソンなどに送付したが、その書面にはメイソンが原告方を出るに至つた経緯については単に原告及びその家族とメイソンとの折合いが悪かつたとだけ記載していたにすぎなかつたので、原告は右のような記載では誤解を招かないとも限らないと思い、原告としてその立場、経緯を明らかにしておく必要を感じ、同年七月二七日付書面(甲第二号証)にすべての経緯を記載し、これを橋本の前記書面送付先に送付した。

3  被告はメイソンから甲第二号証のことを聞き、同年八月一六日ごろ、原告に対し電話で、右書面の英訳文送付を要請したが、原告はそれを承諾しなかつた。

4  その後、被告は同年九月二四日付手紙で、原告に対し、同人が前記電話をした際、甲第二号証の英訳文送付を約束したとしてその履行を要請した。これに対して、原告は同年一〇月二五日付手紙で、被告に対し、右のような約束をした覚えはなく、また、それをすべき義務もない旨の返答をした。被告はこの原告の手紙に対し、同年一一月初旬、原告に、八月一六日電話で話しをした際、原告は甲第二号証の翻訳文を二週間以内に被告に送付すると約束した。それにも拘らず右約束を撤回するのではなく、約束していないというのは嘘つきである。また被告とメイソンの関係につき原告はプライバシーを侵害している。七月一一日の朝、原告の妻が神奈川ESS連盟開催のコンテストへ被告が来るのを生徒らが待つていたという無記名のメモを被告のポストに入れた行為はテロリストがメモを石でくるんで窓から投げ込むのとよく似ている。原告夫妻は西欧の基本的な社会習慣に無智であるなどと記載した手紙を送つてきた。

5  そこで、原告は在日アメリカ人の友人ジェフリー・ビー・ジョーンズ(以下、ジョーンズという)とティモシー・ジェー・ライト(以下、ライトという)に被告との関係を相談したところ、両名は紛争解決のため、自発的に被告と話合うことになり、同年一一月一五日、被告の勤務先神奈川県立鶴嶺高校に被告を訪ね、同校の待合室及び校長室で被告と話合いをした。話合い当初、被告は大声でジョーンズとライトの関与を批難し、次いで原告は甲第二号証の英訳文送付を約束したにも拘らず、そのような約束をしたことはないなどと嘘をつく嘘つきであり、人種差別主義者であり、西洋の基本的生活習慣に無智で、国立大学で英語教育をしている教授であるに拘らず、英語の初歩的文法も弁えていないなどとまくしたてて原告を非難、中傷し、また原告の妻は無記名のメモを放り込むテロリストであり、old bitchである、と悪口を言つた(この話合いには右高校の校長及び山中教諭が部分的に立会い、原告はジョーンズらから当日の模様についてくわしく報告を受けた。)。

6  ジョーンズとライトの関与によつても紛争は解決することなく、原告は同人自身または人を介してもアメリカ・メリーランドの被告の母親に対し電話をかけたこともないのに、被告は同年一二月二一日付神奈川県義務教育指導部長宛の手紙、昭和五八年二月二一日の同部長室における県庁職員二名との話合い、同年三月一五日付神奈川県知事宛の手紙、本訴係属後新聞社数社に配付した被告の答弁書と題する書面の中で、原告はアメリカにいる被告の母親に対し、被告は日本において重傷を負つて入院したという虚偽のテロリストじみた電話をかけ、被告の母親を脅迫したと書き(または述べて)原告を批難した

ことが認められる。

四ところで、〈証拠〉によれば、英語による悪口、蔑視語のなかで「テロリスト」「人種差別主義者」という言葉は日本語による語感より以上に人を傷つける言葉であり、犬などの雌という意味から転じ、俗語として「あま」「売女」を意味するbitchという言葉は、女性に対する最大級の侮辱語であることが認められる。

従つて前記のように英語に堪能な原告は、被告の前記各言動により、自らが強く侮辱され、また名誉を傷つけられ(前記認定事実のうち原告と直接対面もしくは手紙送付により原告を非難、中傷した行為は侮辱、第三者に対する手紙などの送付、口頭による原告非難は名誉毀損に当る)、精神的苦痛を受けたといわざるをえない。

ところで〈証拠〉によると、被告は昭和一八年一月一七日、アメリカ・メリーランド州で生れ、昭和四二年トラソン州立大学を卒業後、ボルチモア市公立中学校で特に能力の劣る生徒の指導を担当していたが、昭和五七年春、前記のように交換教師として来日し、神奈川県立鶴嶺高校、城内高校で英語教育を担当した。

しかし性格が短気で、協調性を欠くため、同僚教師との融和を欠き、メイソンや「しげたかずお」という日本人との交際のほかは比較的孤独な滞在生活を送つていたことが認められる。

以上認定の全事実(紛争の発端、経過、被告の言動、原告の対応、原告の職業、社会的地位、能力、原告と被告の年令、来日間もなかつた被告の境遇など)を総合すると、前記原告の精神的苦痛を慰藉するための慰藉料の額は金一〇〇万円が相当である。

五そうすると原告の本訴請求は右慰藉料金一〇〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和五八年三月一九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があることになるから、これを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官上杉晴一郎 裁判官田中 優 裁判官中村 哲)

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